江戸時代と上石原

江戸幕府は江戸城を中心とした五街道の整備に力を入れ、甲州街道は軍事的にも重要な街道となりました。
 これにともない、多摩川に近い場所にあった集落を、甲州街道沿いに移し、「布田五宿(上石原・下石原・上布田は小島分含・下布田・国領)」とも言われる宿場ができ、その一宿が「上石原」であります。
 五宿には9軒ほどの旅籠がありましたが、大名が泊まるような大きな本陣等はなかった。
 現在の街並みからもうかがえるように、上石原の甲州街道の南北には間口約5間~12間、奥行き50間(通称50間道)の屋敷が配置された面影が残っております。
江戸幕府が滅び、江戸は東京と改められ、明治時代になりました。
 神奈川県に編入されたりしましたが、上石原の地も明治26年に現在の東京に編入されました。

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